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ダイノジ大谷の「不良芸人日記」: 不良芸人日記785 users

ダイノジの大谷さんのブログのとある記事、ブクマ数がすごいことになってる。
しかも付いてるブックマークコメントが肯定的、賞賛的なものばっかり。
芸人ダイノジを知らない人たちからもたくさん。
ちょっと違和感。
っていうのは、「ダイノジ嫌い!」とか「芸人なら笑わせろ!」とかそういうことでは全くなくて、ただ単にこの人が色んなところで叩かれてるのを見たことがあるから。
ここでは全然批判コメントが見当たらなかったので。

たぶん、しょっちゅう言われていることは真実なんだろう。
「叩く」人って、相手のことが気になってたり、好きだったり、何にせよ注目しちゃうからこそ、そういう行動になる。
時には、その人の人格否定までをも含むような。
相手のことを知らなかったり興味がなかったりする人は、その時目の前に出されたものを判断するだけ。
その出来のいかんを相手の人格や歴史に結び付けて褒めたりけなしたりすることって、あんまりない。ほとんど、ない。

相手を思いやるって難しいことだ。
その人が、いま差し出してくれたものだけで判断するのがいいのか、その人のこれまでを含めて、想像してかなきゃいけないのか。
「全部含めて私」って考える人もいれば、たくさんの顔を使い分けたい人もいる。
時には隠さざるを得ない過去だって、持ってる人はたくさんいる。

普段の生活なら解決方法はたぶんある。
コミュニケーションって一方通行じゃないよ、ってこと。
あっちから差し出されるばかりじゃなくて、こっちから気になるところはつっこんでっていいし、探り合いだってできる。お互い様。

でも「ファン」ってそれとはちょっと違う。
この距離感、なんなんだろう。舞台と客席との距離?マジックミラー?
見られてないところでは何を言ってもいいのかどうか。

私はどうしても「その人のこと」をいろいろ考えてしまう。
「どこからこの発想力生まれるんだろう」から、「この先どうやって生きてくんだろう」まで。
そうやって見てると興味がすごいわいてくる。
面白い人、たくさんいる。ほんとに、数え切れないくらい、たくさん。
過去の闇も、未来の闇も。

でもたまに我に返る。
「昨日の○○おもしろかったよなー」ってテレビをあげてゲラゲラ笑ってる人とか見て。
あ、こういう方が、こういう風に楽しんでもらえるほうが、ありがたいんじゃないのかな、って。

正解は、たぶんない。
ないといいな、って思う。今は。

コメント

  1. punch-line より:

    この間はM-1本当に楽しかったですね。
    コメントはお久しぶりです。
    なんだか共感です。ファンになるとその人がどんな人なのか本当に気になりますよね。色々考えて、想像したり妄想したりもしてしまいますし。
    私はファンでありつつも、ある程度批評的でもありたくて、でも芸人さんを傷つけるようなことは言いたくはないし、で、たまにスタンスに悩むことがありますねー。
    正解はほんとにないですよね。
    あと、自分がどうしてその人がそんなに好きなのかっていうのも気になりだします。好きな相手(芸人さんとか色々)について書くことは自分について書くことでもありますよね。どうして好きかっていうのを書くことは自分をもさらけ出しますもの。同時に、嫌いって書くことも実は自分の限界や性格を露呈するということを自覚すると、案外ほどよい距離感が保てるような気もします。
    なんて、つらつら考えてしまいました。
    ファンってなんなんでしょう。ファン心理ってのも不思議ですよねーw

  2. kagari より:

    >>punch-lineさん
    先日はどうもでした!
    きっといらっしゃってるだろうなと思っていたので、さっそく姿を見つけたときは嬉しくなっちゃいました(笑)
    M-1はチーモンのこれからを追うのがとっても楽しみです。
    たしかに。自分の好きなもの、嫌いなものについて語ることは、自分自身を語ることとかなり一致してますね!
    だからといって、自分の好きなものを積み重ねたところで自分を表さない、というのが難しいのだけれど……
    そう考えると、表現者とファンの間って、直接的な交流がないにも関わらず、奇妙に双方向コミュニケーションが成立してる気もしますよね。
    「お笑い」というジャンルに限って言えば、ライブではファンの反応をかなりリアルに感じることができたり、若手だったら出待ちでかなり高濃度の交流を持つことができたりするので、頭を整理するうえでは厄介だなあと思ってしまうのですが(笑)