無邪気について 考察

無邪気って場合によっては、とても怖いものだと思います。
邪な気持ちがない、すなわち純粋ということは、どこへでも如何様にでも暴走できるので。
芸人さんって(良い意味でも悪い意味でも)子どもらしい人が多くって、実年齢と感性とのギャップに驚くことがとても多いので、ちょっと考えてみました。
「子ども=無邪気なもの」というのが基本前提で。まとまりない雑文です。

まず、『無邪気』が一番怖い形であらわれてるのがチーモンチョーチュウ白井さん。
「家に火つけてやろうかと思って」
「お風呂に入ってるとこドライヤーつっこんでやろうかと思って」
「眼ん玉ちょうだい」
自分が嫌なことされたから仕返ししたいってときに、「されたこと」と「仕返しでしたいこと」の間に、倫理だったり常識ではかれる同価値性がない。
知識がない、常識がないということが子どものけっこう大きな要素かと。
そんなものにとらわれず、いつでも「自分がやりたいこと」「思いついたこと」が基準だから、
「都内の野良猫全部飼ってちょうだい」(罰ゲームとして)
みたいなわけわかんないことにもなっちゃう。
あと、生命を軽く扱うことに対する恐怖がないとこも、子どもの怖さだよなあと思います。
虫を破壊するとか、ひいてはそれが動物虐待につながるとか、よくあるし。
結果を予測できない、というところもありますね。

ライセンスのお二人が、よくラフ・コントロール森木さんのことを「こわい」って表現したり、オリラジあっちゃんがはんにゃ川島さんのことを「こわっ」って言っちゃったりするのですが、そこのところを考えると、何か解答らしきものに結びつく気がします。
あれって何が怖いんだろう。とっさに「こわっ」って言っちゃう反応、どこから来るんだろう。
・普通に生活してれば身につくはずのこと(常識)を身につけていないこわさ
・そういう「何か(常識が)足りないはず」の人がのうのうと生きているこわさ
・自分の信じていたものが揺らがされるようなこわさ(常識が常識でなかったということ)
ここらへんですか。
無邪気っていうのは、相手の信念を揺さぶるからこそ怖いのかもしれない。
「湯船にドライヤー」「人が死んじゃうからダメ!」
別にこの後、白井さんが「なんで死んじゃうとダメなの?」とは聞かないわけだけど。

なんだかそういう怖い側面がある上で、でもそれを笑える話に持ってくために、みんながどういう工夫をしてるかってところが面白いな、と思います。
こわいって思ってるのも私だけかな。よくわかんない。
以下気になったネタについて、子どもだなあこわいなあと思うポイントと、面白くさせてる要素。

はんにゃの剣で切りあうネタ。
金田さんカッコイイ!で終わりたいのに、最後あきちゃんがつい楽しくなって切りかかっちゃうから、いつまでたってもコントが完結せず金田さんイライラ。
「話をまとめる」って概念のないあきちゃんが子どもかな、と思いましたが、お互いやりたいことに折り合いつけられない感じは両方子どもですか。
この人たちは、どんなネタにしろ、動きでおもしろさを出しますね。
オチがなくても大丈夫、とまでいったら言いすぎかな。

ライスの毒入りリストのネタ。
関町さん扮する刑事のところへ犯人から電話。ものすごいシリアスな状況のはずなのに、犯人が似つかわしくなく面白くって、つい笑っちゃう。
これは、関町さんがTPOと自分の立場を無視して面白いところについ飛びついちゃう、っていう無邪気さよりは、規模の大きい犯罪の割に商品の名前に対して超きまじめ、っていう犯人のギャップで笑わせる感じ。

チーモンは白井さんの無邪気に菊地さんがのったりそったりするのが面白い。
初見のインパクトよりも、ずっと見てるからこそのおもしろさだなあと。
犬の心はひっかけあい騙しあいみたいなネタがよくありますが(「ひっかかったひっかかったー」ってのとか、ダンボール箱に入ったときだけ猫に見える、とか)、あれは、時に人をイライラさせる無邪気さにたいして、池谷さんが復讐してくれるから面白いのかな。

書いてるうちに自分の中にも様々矛盾を見つけてしまったので、もっとちゃんと考えたいですね。しばらくは思いついたことぽつぽつ書きつつ、いつかちゃんとまとめられるといいです。

コメント

  1. punch-line より:

    もしかして無邪気(=子供)という仏教用語がそもそも問題なのかもしれませんね。白井氏を見ると、キリスト教的性悪説の子供が浮かびます。本来子供は善ではなく律される必要がある、という。なぜだかこれまで行動や、少なくとも発想は律されることなく来てしまったので、一見無邪気(子供という意味で)に見えるが実は性悪なわけです。
    ふふ、お笑いのこと考えて性善説性悪説まで飛び出すとは。
    他の芸人さんがこわいというのは、彼らが性善説を下敷きにしているからかもしれません。子供なのに善じゃない、こわいという発想で。

  2. kagari より:

    >>punch-lineさん
    なるほどたしかに!
    子どもを性善説でとらえるか性悪説でとらえるかで、意味がまったく変わってきますよね。納得です。
    やっぱり人の思考は言語に規定されますね……
    『恐るべき子どもたち』、読んだことがなかったのでぜひ見てみたいと思いますー!