制限された世界 考察

しずるのコント、『嗚呼、二人』を見たときになんとなくチーモンチョーチュウの三文字ゲームを思い出しました。全然違うんだけど。
なんで似てるって思ったのかよく分からなかったんだけど、考えてみたので書きます。
ちなみにチーモンはM-1敗者復活戦ネタ『迷子』のやつで。

嗚呼、二人……
同居してる二人の会話コント。仲が良いのかどうなのか、二人の会話は単語のみ。
「腹減った」「作った」
「なに?」「カレー」
「ビーフ?」「ううん」
お互い、会話の時は単語なのに、独り言は文章。独り言なら意味のある文章にできるのに、話しかけるとなると単語だけ。

同じ漫才やコントを見ても、人によって面白いと思うポイントは様々だと思うんだけど、私が両者を見て一番おもしろいと思ったのはテンポ感。
たたみかけるようなリズムとテンポが心地よくて面白い。
リズムに乗ってるから気持ちよくすんなり聞いていられるんだけど、ふとした瞬間に異質な単語が入ってくるから笑ってしまう。
チーモンだったら「ゲイだ」とか、しずるだったら「かわいいね」とか。
異質な単語はもちろん普通の漫才とかコントで出てきても笑えるんだけど、使える言葉に制限がかかっていることで、余計におもしろく感じる。
あと他のポイントとしては、ルールを抜け出た瞬間。
チーモンは一番最後、菊地さんが三文字以上をしゃべらされちゃうとこ、しずるだったら独り言を言うとこ。独り言はちゃんと文章になってるので。
つまり大切なのは「ルールがある」ってことです。
チーモンのルールが白井さんによって最初っから提示されてるのに対して、しずるのルールはコントを見ていく中でお客さんがなんとなく掴みとらなきゃならない、っていう違いはあるんだけど。
ルールがある、ということはこれはやっぱりゲームなんだよね。
『三文字ゲーム』っていう名前の通り。

ゲームっていうのは、ルールを自分のものにするまではなかなか楽しめないわけで。
チーモンのネタにお客さんが笑うよりも感心してしまう、っていうのは、そこからきてるのかなあと思います。
「よくこんな引っかかりやすいルールでやりとげた!」みたいな。
三文字ゲームのルールが世間に浸透してかない限り、おそらく万人受けする笑いにはなりえないよなー、と。
はんにゃの『ズグダンズンブングンゲーム』がみんなに笑ってもらえるのも、イロモネアのサイレントでポーズだけで勝ち抜けたのが示してるみたいに、「こういうゲームがあるよ」ってことがすでに浸透してるからだし。
しずるの方は、「親しい人どうしだと言葉少なでも通じる」っていう人間関係に関するルールだから、意識してる人が多い分なじみやすいのかなあとは思います。

もちろん両者のネタは似てるわけでは全然なくて、それぞれ違った面白さがあるわけで。
チーモンだったら菊地さんが悩みながらひねり出した答えに笑えたり、しずるだったら何がどうしてこの二人はこうなっちゃったんだろうって考えたり。
そんな風に考えながら見ていると、菊地さんの悩み方が、三文字をひねりだそうと悩んでいるのか純粋になんて答えようか悩んでいるのか曖昧になってきて。
ただのコントを見ているように楽しみはじめたところで白井さんの「はいお前負けー!」、びっくりします。
あ、そうだ、これゲームって前提だったんだ、って。
やっぱりスコーンって抜ける笑いにはなりえない。でもそこが好きな所です。
つきつめて、これでもかっていうくらい、いい意味で強引におもしろくしていってくれないかな。