小林賢太郎演劇作品『ロールシャッハ』
10/11/12 19:00~ 天王洲銀河劇場
作・演出:小林賢太郎
出演:久ヶ沢徹/竹井亮介/辻本耕志/小林賢太郎
コントというよりお芝居だった。というかお芝居なんですね。
小林賢太郎さんの作・演出の舞台。本人も出ている。
一度ラーメンズを見てみたくって、というのはもちろんDVDも見たことがあれば台本だって読んだことがあったのだけれど、どうにもうまく入ってこないところがあったので。
ライブ通いを続けるうちに、何でも自分で見ないと気がすまなくなってしまったというのは良いやら悪いやら。とにかく、面白かったし、行ってみてよかったです。
えと、私が、ライスの田所さんがラーメンズに影響を受けている、という言説にすごくとらわれていた部分があったのでそこにこだわった内容になってしまってるということ、あとはカーテンコールまで誰が小林さんだかわからなかったくらい(笑)ただの初心者だったこと、に気をつけたほうがよい感想を追記に。
あとは思いきりネタバレなので、これから見に行こうと思ってる方はぜひ回避してください。
千秋楽はまだだよね。終わるまでは追記にかくしておきます。
ストーリーはシンプル。とある世界の開拓隊のおはなし。
その世界では、開拓隊がすべての土地を開拓しつくし、すでに世界の果てまで到達している。その果てには、長くて高くて得体の知れない壁が横たわっている。
壁。
その壁のすぐ近くの空き地に、開拓隊の任務を手伝うため呼び出された三人の民間人。
・壷井貢…鉄工所の親父。怒りっぽい。
・串田益夫…チャラい学生。自分がない。
・天森平吉…内向的な青年。弱気すぎる。
そして三人をまとめる指揮官、富山塁。登場人物は全部で四人。
指揮官は三人に任務を告げる。
「丸一日後、明朝6時に壁に向かって大砲を打ち込め。壁際まで到達した我々開拓隊が次に目指すのは、壁の向こうの新しい土地だ」
最初はやる気もまとまりもない三人だが、しだいに自分の欠点を見つめ、直そうと努力するようになる。
指揮官はそんな彼らに対し、短所を直せといいながらも、それぞれの長所に応じた任務を与える。四人は協力しあい、大砲を撃つ準備は整う。
しかし。
「ねえ指揮官。壁の向こうには何があるんですか?」
「壁の向こうはどうなってるんですか?」
「私たちには知る権利があるんじゃないですか?」
「……わかった。教えよう」
指揮官が解説してくれた壁の向こうの世界は、こちらの世界のパラレルワールド。
壁というのは鏡のようになっていて、壁の向こうには、こちらの世界を対称的に映し出した世界が広がっているはず、ということだ。
そこで三人は、はたと気づく。
「壁の向こうにこちらの裏返しの世界が広がっているなら……」
「そこにも僕らと同じような人が生活していて……そこに僕らは大砲を打ち込む……」
「つまりは、」
『これは開拓じゃない。攻撃、だ』
壁の向こうにも自分たちと同じような暮らしがある。そこに攻撃はしたくない。
でもたとえ自分たちがしなかったところで、また違う人間が駆り出されて同じ結末を迎えるだけだ。
ではどうすればいいのか。どうにかすることはできるのか。
「壁の向こうでも、こんな風に、誰かが悩んでたりするのかな?」
四人は気づく。本部は遠く離れていて、大砲の音しか聞こえない。
「大砲を空に、真上に打ち上げればいい。本部には『壁はびくともしなかった』と伝えればよい」
もしかしたら壁の向こうはこちらに撃ち込んでくるのではないか。
こちらの気持ちは無に帰すのではないか。
そんな危惧を抱えつつも、
「大事なのは、自分の、気持ちだ」
大砲は空へと放たれた。
***
伏線が様々張り巡らされています。
パラレルワールドが大好きな天森くん、そして彼を含む四人の名前。
誰かが登場するたびに名前がすべてスライドで映し出されるのだけど、それが全部左右対称。また、実弾と空弾が入った箱にも「実」「空」の一文字ずつが書いてあるのみ。
伏線がどこで回収されてくのかというと、それはもちろん指揮官が壁の向こうの説明をするとき。
「つまり、鏡だから、向こうは全部反対なんです。みなさん敬礼してみてください」
三人は敬礼。敬礼の手は、左。明らかに、左手。私たちと違う。なのに、
「みなさん、どっちの手で敬礼してますか?」
「右手」
「そう。でも壁の向こうではそっちを左と呼ぶんです」
あれ?
そしてスライドで浮かび上がる「右」「左」の文字。なんだけど、きれいに反転、鏡文字。
ここで漢字がスライドでうつされたことで私たちの中に違和感がまきおこる。だってさっきみんなの名前、スライドで出してたじゃん、って。鏡文字になってたらさすがに気づくでしょ、って。
それを見越したかのように再度映し出される四人の名前。あ、全部左右対称の漢字、だ。
気づいたところでいろんな動作が再現される。ラケットを持つ手は左だし、フルートを構える向きも逆だ。あ、名札も右胸に。アナログ時計が五時を告げるのにその針は七時の方角だ。いろんな違和感がどんどん浮き彫りにされていく。
そこで思ったんだよね。
あ、これ、現実世界のパラレルワールドなんだ、って。
だってそうじゃない?私たちが鏡を覗いたときに見つかる風景がそのまま、舞台上に広がっている。
舞台上の壁のこちら側には、私たちの世界が広がってる。
だってそうだよ、舞台の中で壁の位置は、客席との境目に、設定されていた。
鏡の向こうの登場人物は、こちらの世界に思いをはせていた。
攻撃は、戦争はしたくないと望み、でもこちらからの攻撃を危惧し疑い、こちらにも壁際があって同じように悩んでいる誰かがいると想像して、大砲を空へと放った。
しかし、こちらは、どうか。
壁はあるか。壁際はあるか。彼らはいるか。
戦争を、仕掛けるか。
それどころか、それどころか。
***
ライスのことを言っておきながらライスについてまったく触れないという不親切具合ではしょうがないな(笑)
似ていると思ったのはどこだろう?わかりやすい伏線?わかりやすいにも関わらず回収の仕方が予想外な伏線かなあ?
テーマももちろん。「戦争」を明確に言葉に出し想起させておきながら、その実、何ものにも脅かされない平和な位置にいる私たちを浮き彫りにさせる。ひょっとしたら何かを考えさせたかったのではなく、ただ、自分の表現したいことを表すための手段としてのみこのテーマを使ったんじゃないかってくらい。
あとは言葉遊びの面白さとか、単純にリズムを作り出すための道具の部分。
『TAKEOFF』のパラレルワールドだったんじゃない?みたいな声もきいたので、自分の感じたものが絶対じゃないって思い出すためにちゃんと見てみようと思います。
うん、そんな風に、気になる。