ライスが優勝した世界線に生きていることを一年たってもどうやら信じられないままでいる

ライス

2016年9月9日、そして同年10月2日、という日付を、一生とは言わずとも、しばらくの間は忘れられずにいるだろう。

前者は、その年のキングオブコント準決勝でライスが決勝進出を発表された日、言わずもがな後者は、そのライスがテレビの地上波で、キングオブコントの決勝戦で、間違いなく優勝を決めた日だ。

あの日、友人と並んで握りしめた両手、するのを忘れた呼吸、目の前で起こっている出来事をなんとか思考回路にのせ理解しようとフル稼働させ続けた脳みそ、を今日になってもありありと思い出せる。

それが、まるで昨日のことであるかのように。

あるいは、もう何年も、十何年間も前のことであるかのように。

一年前というのは、早すぎるのか遅すぎたのか、どうにも腑に落ちない。

笑われる、あるいは「こいつ合わないな」と画面を閉じられるのを承知で言い切ると、ライスとそれを取り巻く吉本若手のあれやこれやは、わたしにとってまさしく「夏休み」だった。

八年前、ちょうど大学生だった。
学業も生活も頑張ってはいたけれど、どうにも自分が「はまっていない」感覚が全身を支配していた。

仲良く話せる友人はいたが、趣味は分かち合えなかった。
突き詰めたい学問分野を見つけたが、周りの優秀さに劣等感ばかりがつのった。

ライブだけが等身大だった。
渋谷に行って、神保町に行って、ツイッターでつぶやいて、ブログにあれやこれやと書きつらねて。

あの頃を「夏休み」だと思い出すのは、単に学生だったから、八月に一番たくさんライブに通えた、というのもあるだろう。
2009年の八月には25本も行っていた。

日中二本をハシゴし、オールナイトにも行ったあげく翌日また二本をハシゴ、みたいなことまでしていた。

遠くから遊びにきた友達のホテルに押しかけて神奈川住まいなのに東京に泊まってみたり、一人暮らしの子の家に迷惑千万で入り浸ったり、そんなことをしなくても、会場に行けばたいてい数人の知り合いがいるものだから、毎週オフ会しているくらいの充実感、がいつでもあった。

学校と一緒だ。
同じ時間と空間を分け合う一体感。「昨日の◯◯見た?」とすぐに盛り上がれる共通の話題。

あんなにも楽しかったと感じられるのは、大部分が、美しい思い出のままに終わっていったからだろう。

見ていたコンビの半数以上は解散した。
上京していた子が地元に帰った。
ほかに打ちこむ趣味を見つけた。
吉本の若手芸人たちも、そこに必ずいた無限大ホールや神保町花月から散会させられて、少し遠くの人たちになった。

久しぶりにライブに行くと、いつものみんなには会えるのだけど、そこはもはや、なんとなく同窓会のようだった。

「懐かしいね」
「最近なにしてたの」
「会えてよかった」

コントの人が好きだから、キングオブコントにまだ夢は見ていたけれど、それは何年もかけてもう諦めた夢だった。

真冬の大井競馬場とか。

THE MANZAIでのチーモンチョーチュウとか。

しずるとか。
犬の心、とか。

だから運命の2016年、勝ち進んでいくライスを見たわたしは、気持ちが盛り上がるというよりは「もうひとつの世界」を眺めている気分だった。

決勝戦を前にしても、友達を呼んだから万が一にもテレビが壊れたり映らなくなったらどうしようとそわそわぞわぞわしながら、全く地に足がついていなかった。

優勝したあの瞬間の二人の顔は、抱き合ったリアクションは、あんなにも鮮明に思い出せるのに、

いつもの茶番なんかじゃないって全身全霊で証明していたのに、わかってるのに、

……今年のキングオブコントももはや終盤に差し掛かったいまになっても、ほんとにこの場でライスが優勝したのかな?って、半信半疑な自分しかいない。

だから何なの、と聞かれれば、別になんでもないよ、としか答えられない。
それでどうするの、と問われれば、これからもライスが好きだよ、と言うだけだ。

これまで唯一、ライスの優勝を実感できたのは、数年ぶりの単独ライブ「ブラン」で、オープニングコントの小道具が、衣装が、あまりにも洗練されて豪華だった、あの瞬間だけだった。

そんなことが積み重なってくれるだけで、ファンとしては十分だったりもする、のだけれど。